カテゴリ:how i think...( 42 )

 

生きてる

私はポンッと間違えてこの世の中に生まれてきたわけではなく、
こうなるために父と母によって迎えてもらった命だと思う。

思えば厳しくも楽しく育ててもらい、
色んなところに連れて行ってもらい、
やりたいようにやらせてきてもらった私はとても幸せで
かつ 外国にいつも飛び出してしまう娘を
色んな形で怒りつつもサポートしてくれている家族には
なんてお返ししたら良いのか判らないほど感謝しています。

今こうして ベルギーで仕事をしているのも全ては縁の巡り会わせで、
あの時こうしていなければ 今のこの現実はなかったのだと
考えたりしてしまう。

いつだって 前に行ってみたい。
知らないところに行ってみたい。
会ったことのない人たちと出会いたい。
色んなところで知らないものに触れたい。

毎日 職場で沢山の人にあう。
沢山の電話でしか話したことのない人と笑いあい、
メールでしかやりとりしたことのない人と情報を交換し、
笑ったり 怒ったり しかめっつらしたりしながら生きている。

これから どのくらいの人たちと会えるのだろう。
これから どの地へ足を踏み入れ、目の前に出来るだろう。

とても 幸せだ 今の生活が
だけど まだまだ 色々有る気がする。


ーーー

昨日はケッコンして2ヶ月目でした。
Joeriが近くのエスタミネに連れて行ってくれ、ディナーとなりました。
なんだか嬉しかったので調子に乗ってビール飲んだら
21時 帰宅と同時に就寝。
しくしく オトナニナリタイ・・・。
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by sachio_tukiyo | 2007-08-31 05:21 | how i think...  

home

私にとって、まだウチ、というと日本の実家を指す。
ウチに帰りたい、っていうと、実家を思い出す。

っていうか 日本に帰りたーい と言うと、Joeriも決まって
幸のウチのリビングでネッ転がりたいんでしょ、と言う。
そのとおりです。

昨晩、夢で 両親にダダを捏ねて叱られる夢を見てから
homesick中。 えーん。 

だって、今日ベルギーは15度。
寒い。雨だし 暗いし。
夏なんてどっか行っちゃったよ。
アチー とか言いながら じいちゃんのスイカが食べたい。

仕事は楽しいし、友達も増えたし、
平和にやっているけれど、やはりウチが恋しいなぁ。

このまま私、何年後かにはベルギーのこの家を「ウチ」って
呼べるようになるんだろうか。
こんなままじゃケッコンなんかして家を出るんじゃなかったかしら
なぁんて思うけど ケッコンなんて人生の一部であり
経験であり 修行だと思うので まぁそれはよしとする。

もうちょっと晴れてくれないかなぁ。
そしたら少し元気になるのに。
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by sachio_tukiyo | 2007-08-10 03:14 | how i think...  

Borders

小さい頃から頻繁に海外に行くことに恵まれていたことが
やっぱりとても幸せだったと思う。

弟がずうずうしく、露天などで「ディス ワン プリーズ!」と
2ドルくらいのオモチャを平気で買っていたのに対して、
私は実は恥ずかしがり屋で ひとりでお買い物が怖くて出来なかった。

いつかきちんと自分で海外を旅行出来るように、
あの態度のでかいアメリカ人と「イエァ」とかって対等に話せるように
なってやる、と思ってから 英語は学業というよりも
趣味に近い感じで 勉強していてもつらくなかった。

うちのパパはエイゴが喋れる!と思っていたのだが、
いつだったか旅行に行ったとき、実はパパが
全てフィーリングで会話していると気づいた。
凄く驚いた。 驚いたが、語学ってそうなのかも、と思った。

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エイゴさえしゃべれるようになったら何も怖くないと思った。
確かに怖くないと思う。 旅行者として、お金を落とす身として
どこに行こうが、いまや世界の人は割りとエイゴを話すのでモノは買えるし
レストランで注文も出来るし、困らない。
ただ やはり欧州に居ると、いまやボーダーのない世界、
一日に耳にする言語は3ヶ国語をゆうに超える。

そうするとエイゴだけ出来ればいいというシンドロームはかき消され、
現地の言葉、友達の言葉を話したいと思うようになる。
それは本当に、欧州に居て思うこと。

語学はツールであり、人と人への橋渡しだ。

だけど、語学が出来ても人と付き合えるとは限らない。
私の経験から行くと、うまく意思の疎通が図れる言語がなくとも
フィーリングの合う人とは 何気なく会話できるものである。

また、私自身が何の面白みもなく、
知識も経験も思考能力も持ち合わせていなければ
何ヶ国語が操れても 人と付き合うことは難しいのだと思う。

ベルギーにこうしてまたポイッと来てしまったけれど、
それも自分が決めたことというよりは人との繋がりがもたらした結果。
(まぁ自分が自分の身体を運んできたのですが。笑)
でもベルギーで骨をうずめるのかと言ったら、そうではない。

私は日本に居てもベルギーに居ても どこの世界に居ても
生きていくことが出来るようになりたいし そうなる気がする。

ずうずうしいから? アバウトな性格だから?
向こう見ずだから? ヤブレカブレだから?

なんでもいいや。 とりあえずは、自分の周りに居る人と
自分の手のひらに何かをきちんと大切に包んで、
どこでも生きていける強い人間で居たいと思うのでした。

写真はLeuven大学の図書館。昨日行ってきた。
素敵な人に出会えた。 嬉しかった。
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by sachio_tukiyo | 2007-06-01 18:15 | how i think...  

人間関係

今まで生きてきて色んな楽しいことがあった気がする。
でも忘れてしまうことが多い。
だから写真は好き。 それを思い出させてくれるから。

ここ一週間ほど、コタツで寝ているため(おいおい)
変な夢を見ることが多い。
昔のクラスメイトとか、2週間だけスティしたことのある場所とか、
中学生のころ良く歩いた道とかそういうのが、
時代・場所ところ構わずごっちゃになって出てくるのが中々面白く、
ちょっと楽しかったりする。

夢ではなぜ、過去の内容を見ることが多いのだろう。
それともそれはあたしだけで、未来を夢ばかり見る人もいるのだろうか。

c0069083_11354861.jpg


「年をとって、最悪なことは、若かったことを覚えているという事実だ」と
やっていた映画で、おじいさんが言った一言。

昔は動いた足、良く見えた目が、今は動かない、見えない。
動いていたという事実や、見えていたという事実を覚えていなければ
老いたことを嘆く回数も減るだろうに。

うまく私が「老人」にまで達することができたら、
何を思うだろう。
「ああすればよかった」「こうしておけばよかった」と嘆くのかな。
動けなくなったときに、周りに誰か居てくれるのかな。

「きのもちよう」という言葉を忘れずに、幸せなんだと自己肯定して
幸せで居られたらいいなぁ。

とか 考える お休みの火曜日でした。
これから親戚周り・ヨガ行ってきます。
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by sachio_tukiyo | 2007-01-16 11:36 | how i think...  

一年ありがとうございました。

細木数子の大晦日特番を見ながら、いまさらながら
今年は大殺界、まっただなかなのではなかろうか!?
本を買って調べてみなければ・・・ナドナド感じている一年最後の日です。

今年という一年は、ポルトガルのマディラ島でシャンペンを開けて幕を開け、
大切な人の手術や、自分の生活の大変化、社会人になり、
思っても考えたこともなかったところに配属されて苦しんだ年でした。
体験したことのないストレスにも泣いたし、どうにもならない社会の中で
歯車となるということへの適応をどう自分なりにしていくか もがいています。

しかし、裏を返してみると 仕事をし始めたことにより
今まで会いたくも無かった(笑)種類の人たちと出会い、話し、
生活し、影響を受けて勉強して、成長・・・した?と言うことができるハズ。
それはひとえに、今まで出会った来た一人一人のおかげです。
嫌な思いをさせてくれた人々にも感謝して、一年を終えたいと思います。笑

今日は世界で一番大好きな人たちと一緒に一日を過ごしています。
とても幸せです。 かみさま、ホトケサマ、などなどなど、
ほんとーに感謝。 2年ぶりの日本でのお正月も楽しみつつ、
来年からはもう少しまたHPも精力的にイキタイと思いますので
よろしくおねがい致します。
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by sachio_tukiyo | 2006-12-31 21:05 | how i think...  

宗教

ベネディクト16世が、公式謝罪をした。
その発言に、手を挙げ、喜ぶシスター達の姿がとても印象的でした。

ジハードという言葉を使って人を殺してもいいと、
言っているように受け取れる行動をしているのは
イスラム過激派の一部の人間達である。

彼等はベネディクト16世の先週の発言を受け、
シスターを殺害したり、法王の人型を燃やしたりして
抗議を繰り返した。

何故、そんなに危険性の高いことをするのだろう。
何故、そんなに暴力的になるのだろう。

キリスト教(カトリック、プロテスタント等含む)が
暴力的ではないかといったらそうじゃないんだろうな。
ほんの少し前まで、植民地を取り合って奴隷を作り上げてきたのは
彼等なのだから。

そして、未だに熱心なキリスト教信者大国アメリカが、
戦争をしているのだから。

仏教が、では果たして暴力的でないか?
神道はどうだろう?どの宗教をもつ国の民も、
人殺しだって、悪いこといっぱいしてきたんだものな。

とすると、では 今 歴史っていう大きな本があるとして
その中の21世紀初頭であるとしたら
その時代は イスラム教徒が暴力的になっていたという
史実が書かれているような その中に今私たちが居るだけなのかもしれん。

所変われば、人も変わるのだから
宗教が違えば、人も全く違うよね。

まぁ イスラム教の場合、人間である前にムスリムであるという
そういう彼等の宗教心が恐い気がするのだけれど、
それが彼等の宗教と言われてしまえばキリスト教徒が口を出す訳には
いかないのかもしれない。

でも、宗教を信じる者であるまえに 人間であるのならば、
誰だって同じなのにね。 心臓は一つしかないしさ。
脳みその重さも同じくらいだし。 子供だって同じようにして出来るし。

なんて そんなことを思いながら
3連休も 仕事でした。(い、ち、お、うっ。)
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by sachio_tukiyo | 2006-09-19 22:18 | how i think...  

社交性

仕事に最も大事なのは
社交性であると思う今日この頃。

外ヅラは良いが、内弁慶なオイラ。
休みの日は友達とも会わず、ひたすら本を読んでるだけのオイラ。
飲み会も嫌いなオイラ。
出来るだけ知っている人とだけで暮らしていくのが幸せなオイラ。

。。。には、社交性はないのかもしれましぇぇん。

泣き言おわり。

今日はお休みだったので
コンタクトを買いにふらふら街へ。
ついでにふらふらして
でもふらふらついでに帰宅した。
喉が渇いて帰宅した。

最近では、ヒトリでカフェに入ることも出来ない。

昔は カフェはおろか、カレー屋さんとかにも入れたのに・・・

帰り道、アイスの実を探しに入ったコンビニで
スイカバーを買って 食べながら帰りました。
平和です。 レバノンも平和になればいいのに。

小説が良い具合に だるい。
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by sachio_tukiyo | 2006-07-20 23:53 | how i think...  

Je suis un morceau d'utopie

first of all, better realise that you need people around you.
but then it does'n mean you don't have to do anything...
maybe you should'nt give your way to someone else,
but, i think sometimes it can be necessary...

Je suis un morceau d'utopie...

i picked up this french sentence from my friend's blog
who lives in Brussels with his Irish nationality.
i like his sence.


after some years of revolting period,
i thought i was grown up.

oh surely yes, according to my age.... day by day
all of my celles are reborn again and again ,,, and again.
and huge amount of second send me to a new world...

one of my friends just told me [Don't regret],
oh, no, that's a word i wanted to ignore.
regret? regret!! that's a word you easily use but hard to say.
cuz you may not say the word if you don't live with your own faith.
since i am still too weak to believe in what i want to do,
or,,, give my life up or.....


may i go this way..... or... that way ?


either ways you need to be self-confident AND
selfish for your life. which i seriously think as the most difficult thing in my life.

my life shouldn't depend on what i have to do,
but what i want to do..... right?

anyway i like that.
Je suis un morceau d'utopie...
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by sachio_tukiyo | 2006-06-21 21:57 | how i think...  

vanity

vanityという単語を、このごろ何かにつけ思うことが多い。

vanity、を引いてもらうと、うぬぼれ、とか虚栄心、という日本語になります。
フラ語ではvaniteuxなんて綴る。 英語の60%だかなんだかはフラ語からキテマス。
ので、英語→フラ語の辞書が一番勉強しやすいと思ったりする。
っていうか 繋げて覚えられるから楽な気がするだけです。

とか 書くのもvanityです。

昨日の日記のように書くのも、vanityです。

とにもかくにも、自分のそのvanityを押し押しする部分が
嫌いで嫌いでシカタナイのです。

結局、あたしはそのvanityをいかにしてmodesty(謙遜)に
本当の意味でしていくのかが人生のただいまにおいては目標だと思ったのですが
それはそれでなかなかムズカシイ。
だってmodestなだけの人間なんて、一体どの位いるのだろう。

否、意外と皆きちんとmodestなのかも。 ははは。

vanityがあるからこそ、それをなくそうと努力をしたりするのだとしたら
そのvanityはとてもポジティブよね。
だけど、けれど、ああ、カミサマ。

自分の能力なんて誰も知らないし
生きるも殺すも自分次第だとは思う。解ってはいるの。
ただ、まだ、そのvanityが邪魔をする。
ちくしょふ。 ;;

踊っているときは忘れられるのにな、そんなこと。
お稽古が一番楽しい。
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by sachio_tukiyo | 2006-06-10 23:32 | how i think...  

ありがとうです。

前回の 投稿で、いろいろご意見いただけてうれしいです。

そうか。 やっぱりそうなんですよね。
すごく うれしかったです。 本当に。
そして当然だと思いました。
悲しいなぁと勝手にあたしが思うのは
自分が一度 お医者さんに、赤ちゃんを生めないかもしれないと
いわれたからです。
当時は、小さい子を見るだけで泣いていました。

あたしは、昔から 連鎖していく生にすごく惹かれていて、
繰り返していく 生物の営みがただ単純にすばらしく思えたのです。
生物として生まれたからには それをしてみたいと思ったのです。

だけど あたしがそう思っているだけで
それは 本当に 人々の勝手なのですよね。
「二人だけで居たいから、子供はあえて作らない」というのは
選択肢として 当然でもあり、
間違っているわけでもない。

そして、その文章によって 傷ついてしまった人がいたとしたら、
ごめんなさい。 申し訳ないと思います。

多分 あたしは昔から、 自分の命から生まれるものがほしいんだと思います。
なんだか 自分が生きている 証みたいな気がして。
一人で生きていくには、人生は怖すぎる。
だから、なんだか、そういう存在がほしいのだと。

生きていることはそれだけでも素晴らしい、と
言ってしまったら それに反対する方もいると思います。
ただただ生まれ落とされてしまった命が幸せか、
食べるものも愛されることもなく死んでいく命が幸せか、
それを問いだしたら 何もいえないのです。

でも あたしは 息をして、誰かと会って、何かを食べて、
泣いて、笑って、生きていくことが とても素晴らしい贅沢なことだと思っています。
いやなこともあるけれど、 立ち向かって生きていくのは
とても贅沢で かけがえのないことだと。
あたしは 生きている状態、しか知らないのですが。

だから、この命を与えてくれた両親やその上の上のひとたちがしたように、
あたしも 自分がそういう存在を作り上げてみたいなぁと思ったのです。
そう思う人間だけではないと、考えつかなかったあたしはいけなかったですね。

ごめんなさい。

でも逆に、生きていることが楽しいときって そんなこと思わないのかも。
楽しく生きていられたら、そんな存在をほしいと思わないのかも?
mmm、混乱してきました。 なんだろう。
本当に個人個人によるのか。
赤ちゃんほしーっ、て言うと 友達も大抵驚くしなぁ。
ってことは あたしが変なのか。 うむむ。 ごめんなさい。 

どっちみち、 赤ちゃんは授かるもの。
どうやかんやいっても仕方ないのかな。

そして、最後に、えっと、 哀れに思った「悲しい」ではなかった。
哀れに思っているわけではないんです。
よく考えずに言っているわけでもない。
ただ、輪廻していく生命が、当たり前ではないのかと思うことが悲しい。
正論すぎて だめですかね。

そいや ちょうど昨日読んだ、 ユダヤ教の本。
「全員一致は正解とは思われない」 。 
全員が一致する答えというのは、正当性が低いのだそうだ。
大多数が賛成で、反対し、意見を述べるものが少数いる意見が一番
正当性が高いと 彼らは考えるらしい。
全員一致する考えなんてないはずであると考える彼らが
とても正しい気がして、そのまま眠りにつきました。

全員正しいというのは危険性が高いよなぁ。
確かにそうだ。 うむうむ。

いろんな人がいていいのだから、
個人の勝手としておくべきだ。
だけれど意見は述べるべきだ。
そう常に思っているのです。 だから、コメントいただけると勉強になります。




今日はネットカフェからお送りいたしました。
明日 朝6時からお仕事です・・・しぇー。
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by sachio_tukiyo | 2006-05-18 20:19 | how i think...